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大阪地方裁判所 平成元年(ワ)7305号 判決

原告

後藤信吾

被告

森淵隆雄

主文

一  被告は、原告に対し、二〇七万三八二四円、及び内金一八八万三八二四円に対する昭和六三年二月八日から支払い済みまで、内金一九万円に対する平成元年九月二三日から支払い済まで、いずれも年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、九二九万二一二〇円及び内金八四九万二一二〇円に対する昭和六三年二月八日から支払済みまで、内金八〇万円に対する平成元年九月二三日から支払い済まで、いずれも年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

次の交通事故が発生した(以下、「本件事故」という。)。

(一) 日時 昭和六三年二月七日 午後八時三七分ころ

(二) 場所 大阪府吹田市津雲台七丁目中国縦貫自動車道中国側三・四キロメートル先路上(以下、「本件事故現場」という。)

(三) 加害車両 普通乗用自動車(登録番号、大阪三三ぬ九六五四号、以下「被告車」という。)

右運転者 被告

(四) 被告車両 普通乗用自動車(登録番号、神戸五八ろ五四六二号、以下「原告車」という。)

右運転者 原告

(五) 事故態様 原告が、原告車を運転して、本件事故現場を京都方面に進行していたとき、後方から被告が飲酒運転で制限時速一〇〇キロメートルのところを一三〇キロメートルで暴走して追突し、原告車をはねとばし三回転して中央分離帯に衝突してなお半回転させてようやく停止するという衝撃を加え、その衝撃により原告に傷害を負わせるに至つた。

2  責任原因

本件事故は、被告の前方不注視、制限速度超過等の過失により発生したものであるから、被告は、民法七〇九条に基づき、本件事故により原告に生じた損害を賠償する責任がある。

3  受傷内容、治療経過、後遺障害

(一) 原告は、本件事故により、頸部捻挫、右手関節打撲捻挫、左頬部挫創、両前腕―手打撲擦過傷、胸部右肘左膝打撲の各傷害を負い、小柳病院において次のとおり入通院して治療を受けたが、右傷害は完治するに至らず、平成元年四月七日、後記のとおりの後遺障害を残して症状が固定した。

(1) 昭和六三年二月九日から同月二九日まで、二一日入院。

(2) 昭和六三年二月八日及び同年三月一日から平成元年四月七日まで通院。

(通院実日数二八八日)

(二) 後遺障害の内容

(一) 左頬部の醜状障害(顔面創瘢痕)

(2) 神経障害

右大后頸神経、第四頸髄、上腕神経叢の圧痛著名。

握力低下・・・右一八・五kg、左三五kg

原告は、これにつき自賠責保険において自賠法施行令二条別表後遺障害等級表に定める第一四級一〇号に該当するとの認定があつた。

4  損害

(一) 通院費 九万一六〇〇円

(二) 入通院雑費 一六万五〇〇〇円

入院中一日当たり一〇〇〇円の割合による二一日分

通院一日当たり五〇〇円の割合による二八八日分

(三) 休業損害 四二〇万〇〇〇〇円

原告は、俳優として月額三〇万円の収入を得ていたところ、本件事故による受傷のため、事故の翌日から症状固定日の平成元年四月七日までの一四ケ月間、休業を余儀なくされたから、本件事故により原告が被つた休業損害は四二〇万円となる。

(四) 入通院慰謝料 二〇〇万〇〇〇〇円

(五) 後遺障害による慰謝料 二〇〇万〇〇〇〇円

俳優である原告の顔面に醜状痕が残つた精神的損害は二〇〇万円をくだらない。

(六) 後遺障害による逸失利益 七八万五五二〇円

原告は、昭和四〇年九月五日生れの男子であり、本件事故当時、芸名五藤信吾を名乗る東映系の新進俳優として年額三六〇万円の収入を得ており本件事故による受傷がなければ以後も右収入を得ることができたはずであつたところ、前記後遺障害のために、労働能力の五パーセントを、前記症状固定日から五年間にわたつて喪失したものであるから、その間、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して逸失利益の現価を算出すると七八万五五二〇円となる。

(算式)

3,600,000×4.364×0.05=785,520

(七) 弁護士費用 八〇万〇〇〇〇円

(以上(一)ないし(七)の合計金額 一〇〇四万二一二〇円)

5  損害の填補

原告は、自賠責保険から後遺障害の保険金として七五万円の支払いを受けたので、これを前記損害合計額から控除すると、残額は九二九万二一二〇円となる。

6  結論

よつて、原告は被告に対し、前記損害合計金九二九万二一二〇円及び内金八四九万二一二〇円に対する不法行為発生日の翌日である昭和六三年二月八日から支払済みまで、内金八〇万円に対する訴状送達日の翌日である平成元年九月二三日から支払い済まで、いずれも民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び同2の事実は認める。

2  同3の(一)の事実のうち、症状固定日は争い、その余は認める。

原告は、介達牽引を始めて三ケ月を経過した昭和六三年五月末日頃には症状固定していたものである。仮にそうでなくても、遅くとも事故後ほぼ六ケ月を経過した同年七月末日頃には症状固定したものと考えるべきであり、その後の治療は本件事故と因果関係がない。

3  同3の(二)の事実のうち、神経障害が自賠責保険において第一四級一〇号と認定されたことは認めるが、その余は不知。

4  同4の(一)は不知。

同4の(二)のうち、入院雑費を一日七〇〇円の限度で認め、通院雑費は否認する。

同4の(三)は否認する。休業損害は、治療経過に鑑み二ケ月程度に限定すべきである。

同4の(四)ないし(七)は全て不知。

5  同5の事実は認める。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1(事故の発生)及び同2(責任原因)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

従つて、被告は、原告に対し、民法七〇九条に基づき、本件事故による原告の受傷によつて生じた損害を賠償する義務を負う。

二  ところで、原告は、本件事故により、請求原因3の(一)記載のとおりの傷害を負い、入通院の加療をし、同3の(二)記載の後遺障害が残存したと主張するのに対し、被告は、右受傷及び治療経過の各事実は争わないものの、原告の症状は昭和六三年五月末日頃か、おそくとも同年七月末日頃には固定したから、その後の治療は本件交通事故と因果関係がないと主張して原告の症状固定日を争い、かつ、後遺障害の残存についても争うので、以下、これらの点について検討する(但し、後遺障害のうち神経障害につき、自賠責保険において第一四級一〇号の認定がなされたことは当事者間に争いがない。)

1  本件事故の状況

前記一の争いのない事実に、成立に争いのない甲第一号証の一ないし二〇、及び原告本人尋問の結果によれば、次のとおりの事実が認められる。

(一)  本件事故現場は、中央分離帯で区分された、非市街地にある、アスフアルト舗装された、片側二車線(車線外側に路側帯がある。)の、平坦な、東西道路であり、最高速度は時速一〇〇キロメートルに制限され、見通しについては、原・被告車の前方は良好であり、当時夜間ではあつたが照明により明るかつた。事故当時の天候は、晴れで路面は乾燥していた。

(二)  被告は、飲酒して被告車を運転し、本件事故現場道路の内(右)側車線を西から東へ向かつて時速約一三〇キロメートルで進行中、左前方の道路標識に気をとられ、左前方の安全を確認しないまま、ハンドルを左に転把して外(左)側車線に進路を変更し、同速度で、約七二・〇メートル進行したとき、自車前方約二〇・〇メートルの地点に同方向に向かつて進行中の原告車を発見し、同車との衝突の危険を感じ、直ちに急ブレーキをかけるとともにハンドルを右に転把したが間に合わず、さらに約五一・〇メートル進行した地点において、原告車右後部に被告車左前部が衝突するに至り、その衝突の衝撃により、原告車は車体前部を左側ガードレールに衝突し、さらにその反動で右側のガードレールに衝突したのち、衝突地点から約八八・〇メートルの地点に停止し、被告車は約一七九・〇メートル進行した地点に停止した。

(三)  他方、原告は、シートベルトを着用し、原告車を運転して、現場道路の外(左)側車線を、時速約八〇キロメートルで進行中、前記のとおり被告車から後方より衝突され、その衝突の衝撃により、後記2記載のとおりの傷害を負つた。

本件事故による原告車の損傷状況は、車体右後部凹損及びボンネツト破損等大破の状態であり、被告車のそれは車体左前部とボンネツトに凹損があつた。

(四)  以上の認定事実によれば、本件事故による衝撃が極めて軽微なものであつたとは言えないけれど、しかしながら、被告車の速度は約一三〇キロメートルの高速であつたが、原告車も停止中ではなく約八〇キロメートルの高速で走行中の衝突であつたこと、原告はシートベルトを着用していたこと、後記認定のとおり、原告の受傷内容は顔面に三針縫合した以外は打撲と擦過傷であり、骨折はなかつたこと、初診の友紘会病院で入院指示があつたとは認められないこと、原告は右病院での治療終了後直ちに、右病院から相当遠方である兵庫県三木市の実家まで帰宅できたこと、次の小柳病院における入院は原告本人が入院を希望したこともその理由の一つになつていることなどを合わせ考慮すると、本件事故によつて原告が受けた傷害の程度はさほど重いものであつたとは考えられない。

2  治療経過

いずれも成立に争いのない甲第二、第三号証、乙第一ないし第三五号証、証人小柳博彦の証言及び原告本人尋問の結果(いずれも後記の採用しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨によれば、次のとおりの事実が認められ、証人小柳博彦の証言及び原告本人尋問の結果中の右認定に反する部分は、いずれも前掲他の各証拠に照らして採用し得ず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  友紘会病院における治療経過

原告は、昭和六三年二月七日の事故直後、救急車により、事故現場近くの救急病院である友紘会病院へ搬送されて受診したが、事故により、車内で一瞬ボーツとすることはあつたものの、意識消失はなかつた。

原告は、同病院において、頚椎、胸椎、胸部、右手関節、頭部、右肘の各レントゲン検査を行つた結果、いずれも骨折等の異常所見は認められず、顔面(左頬部)挫創、胸背部打撲症、右肘打撲症、頚部捻挫、左膝打撲症の診断が得られ、顔面挫創部を三針縫合するなどの受傷部位に対する創傷処理及び処置が行われ、内服薬及び外用薬の投薬等の治療がなされた(乙第二、第四号証、第一九号証の一、二)。

原告は、京都市内の自宅付近の病院への転医を希望をしたので、友紘会病院における治療はこの一日限りで中止となり、原告は治療を終えたのち兵庫県三木市の実家に帰り、翌日、同病院の紹介状を持参して後記のとおり小柳病院に転医した。

(二)  小柳病院における治療経過

(1) 原告は、昭和六三年二月八日、小柳病院を受診し、訴外小柳博彦医師の診察をうけたが、その際、原告は、頚部痛、むかつき、頭痛を訴え、左頬に縫合痕跡、その他の部位に擦過傷等の傷害が認められたが、右肋骨部、頚部、及び右手関節部の各レントゲン検査をおこなつたものの、いずれも骨折その他の異常所見は認められず、小柳医師は、原告を、頚部捻挫、右手関節打撲捻挫、左頬部挫創、胸部・右肘・左膝打撲、両前腕ないし手打撲・擦過傷と診断し(乙第五号証)、湿布薬(外用薬)や内服薬(鎮痛消炎剤、胃薬)の投与、頚椎カラーの装着、包帯交換などの創傷処置等の治療がなされた。

入院については、原告自身が希望したこと、むかつきの訴えがあつたこと、頚椎捻挫の場合、初期の一ないし二週間の安静が回復を早めること、原告が一人暮らしであることの家庭環境等を考慮して、小柳医師は入院を指示し、原告は、翌同月九日から同月二九日まで二一日間入院し、その後同年三月一日から翌平成元年四月七日まで日曜日、休日を除きほぼ毎日のように通院した。

(2) 入院中の診療録の記載は、極めて簡単であるので、原告の症状の推移及び治療内容を知るには、診療録及び看護記録の記載(乙第一号証)によらざるをえないが、それらによると、原告は入院当日の二月九日には、頚部痛、手に力が入りにくい、右肘部・右手背部・右前胸部・背部の疼痛、軽度の全身倦怠感、熱感があり頭がボーツとするなどの症状を訴え、その後も頚部痛を訴えてはいるものの、二月一〇日、二月一四日には、自制内もしくは軽度となつて軽快してきており、二月一〇日の脳波検査において異常はなく、二月一七日からは、頚椎牽引、項部マツサージ等の物理療法が開始され、それ以後は頚部痛を訴えることが稀に(二月一九日、二月二一日)ある他は訴えてはおらず、さらに軽快したことがうかがわれ、昭和六三年二月二四日に感冒に罹患してからは、もつぱら風邪症状のみの訴えとなり、風邪の症状が軽減した二月二九日に退院したことが認められる。

左頬部挫創の縫合処置については、二月一六日に全抜糸し、二月一九日には背部痛もなくなり、二月二一日には右手指痛を訴えてはいるが、それ以降はそれらの症状を全く訴えていない。

また、原告は、昭和六三年二月九日、独歩にて入院したが、当初より常食を摂り、睡眠は良好であり、二月一五日には午後一二時一〇分から午後七時二五分まで外出し、二月一八日には午後三時一五分から午後二〇時五〇分まで外出し、二月二二日には午前一一時から午後九時まで丸一日外出し、二月二三日には午後二時三〇分から午後九時まで外出した。そして、二月二四日には、前記のとおり感冒に罹患した。

原告は、右外出について、自宅に帰り、掃除、洗濯、下着の替えの買い物、体を拭く程度の入浴をしたためであると供述している。

(3) 退院後の治療経過については、昭和六三年三月一日から同月三一日までの診断書(乙第六号証)によれば、原告の傷病名は、頚部捻挫、右手関節捻挫とあるが、同年四月一日から平成元年四月七日までの診断書(乙第七ないし第一八号証)によれば、全て頚部捻挫のみとなつている。

通院中の治療内容は、もつぱら介達牽引・低周波・マツサージ等の物理療法と鎮痛消炎剤の外用薬(シンパス、エコー等)の治療を漫然継続しており、物療しか行われていない月(昭和六三年四月、九月、一二月、同六四年一月)も多く、通院開始後一年経過した平成元年三月のみ、右の物療や外用薬のほか内服薬(生薬、胃薬、筋緊張弛緩剤)の投与がなされている。

退院後の診療録の記載は、所々に、相当間隔をおいて小柳医師の簡単な記載がある他は、殆ど日付と物療のゴム印が押されているだけであり、右医師の何らかの記載がある日は、医師が原告を直接診察した日であるが、物療とゴム印が押されているだけの日は原告を直接診察することを行つていない。

診療録上、小柳医師の何らかの記載のある日は、昭和六三年三月七日(シンパスを処方した。)、同月二八日(低気圧でだるい。)、五月一九日(頚部だるい。)、六月二〇日(内容は不明だが、診断書が発行されている。)、七月七日(診断書発行)、七月一八日(診断書発行)、八月八日(エコーを処方した。)などであり、これ以後も同様程度の記載である。

小柳医師は、原告の物療の目的はリラツクスさせるためのリハビリテーシヨンであるからとの意見を持ち、牽引の重量の調整など物療の内容について何ら指示を与えることをせず、原告本人に自由にやらせていた。

(三)  以上の認定事実によれば、原告の受傷内容のうち、頚部捻挫を除く左頬部挫創、右手関節・胸部・右肘・左膝の打撲、捻挫、擦過傷等の傷害については、友紘会病院及び小柳病院の入院当初はもつぱらこれらにつき治療が行われたが、昭和六三年二月一六日に縫合部の全抜糸がなされ、疼痛の訴えも二月二一日を最後になくなつていること、通院開始となつた同年三月一日から同月三一日までの診断書には「右手関節捻挫」の傷病名があるものの、当月の治療内容は外用薬(シンパス)と物療であること、四月一日以後のそれには「頚部捻挫」のみとなつていること等を総合して考慮すれば、退院時にはほぼ治癒し、右手関節部の症状につきしばらく保存療法もしくは経過観察期間をみるとしても、遅くとも四月末日でもつて治癒したものと認められる。

頚椎捻挫の症状については、友紘会病院及び小柳病院での頚椎レントゲン検査においていずれも異常所見が認められなかつたこと、二月一七日に物療開始後頚部痛の訴えは稀になつてきたこと、二月一五日から同月二三日までの間に四日間相当長時間もしくは丸一日外出していること、同月二四日から退院までは主として感冒の治療であつたこと、通院後の治療は専ら外用薬と物療かもしくは物療のみであること、小柳医師は右物療の目的をリラツクスさせるためとし、したがつて、物療の内容を症状の推移に対応させつつ指示することを行つてはおらず、原告にまかせたままにし、為に原告は漫然同一内容の物療を長時間繰り返しているにすぎないこと、小柳医師は通院中の原告を二ないし三週間おきか、ときに一ケ月おき位にしか診療していないこと、これらの右医師の診療態度からすると、右医師は原告の症状をさほど重いものとは考えていなかつたことがうかがえること等を総合して考慮すれば、原告の右症状は入院中の二月一五日頃には既に相当程度軽快したことが認められるから、遅くとも、通院が開始された三月一日から三ケ月経過した五月末日でもつて症状は固定したと認めるのが相当である。

3  後遺障害

(一)  原告は、前記治療経過のとおりの治療を受けたものの完治するに至らず、平成元年四月七日、小柳病院の小柳博彦医師により、次のとおりの後遺障害が残存したとの診断がなされたことが認められる。

(1) 顔面創瘢痕

左頬のもみあげ辺りに幅約〇・五センチメートル、長さ約二センチメートルの瘢痕が認められた。

(2) 神経障害

自覚症状として、右上肢に力が入らぬ、右肩こり、項頚部に鈍痛、集中力の低下等があり、他覚症状として、スパーリング及びイートン検査は陽性であり、頚椎部に運動障害があり、右大后頭神経・第四頚髄・上腕神経叢の圧痛が著明であり、握力低下(右一八・五kg、左三五kg)等が認められ、右障害の今後の増悪・緩解の見通しについては、役者という仕事上動きに制限ありと認め、緩解の見通しなしとの前記医師の意見が付記されている。

右障害につき、自賠責保険において第一四級一〇号の認定があつたことは当事者間に争いがない。

(二)  以上の認定事実に、争いのない事実及び前記認定の原告の受傷内容、症状の程度、治療経過を総合して考えれば、原告には、自賠法施行令二条別表後遺障害等級認定表に定める第一四級一〇号(局部に神経症状を残すもの)に該当する後遺障害が残存したと認めるのが相当である。

尚、顔面創瘢痕については、幅、長さ、位置関係、その程度からみて、外貌に醜状を残すほどの後遺障害が残存したとは認め難い。

三  損害

(一)  通院費 二万一三〇九円

前記認定事実及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告はバスを利用して小柳病院へ通院し、実通院日数二八八日分の通院交通費として合計九万一六〇〇円程度を要したことが認められるが、本件事故と相当因果関係にある通院費は症状固定日(昭和六三年五月末日)までの六七日分であるから、右金額をもつて通院費相当額とする。

(算式)

91,600÷288×67=21,309

(二)  入通院雑費 二万一〇〇〇円

原告が、二一日間入院治療を受けたことは当事者間に争いがないところ、右入院期間中入院雑費として一日当たり一〇〇〇円程度の支出をしたものと推認されるから、二万一〇〇〇円を相当損害と認められる。

通院雑費は相当損害とは認められない。

(三)  休業損害 八二万三八四七円

前記二における認定事実、原告本人尋問の結果及び同結果により真正に成立したことが認められる甲第七号証並びに弁論の全趣旨によれば次のとおりの事実が認められる。

原告は、昭和四〇年九月五日生れの事故当時二二才の男子であり、昭和五九年に高校を卒業したのち、東映俳優養成所に入所し、二年間の養成過程を終了して昭和六一年に同所を卒業し、同年八月に株式会社プロダクシヨンオスカーに入社し、以来右会社所属の俳優として映画やテレビに出演するなどして稼働していたものの、入社後一年五ケ月間(昭和六一年八月から昭和六二年一二月まで)は給料を得ておらず、小遣い程度の金額をもらつていたが、事故の前月の昭和六三年一月になつて始めて月額三〇万円の給料を得るようになつた。

尚、原告は、月額三〇万円を休業損害算出の基礎収入にすべき旨主張するけれども、右認定のとおり、それは事故前わずか一ケ月の実績しかなく、それ以前は小遣い程度であつたこと、俳優の仕事は運やチヤンスに左右され収入の変動の大きい職種であることから考えれば、一ケ月の実績しかない収入を基礎にすることは相当ではないが、原告の稼働状況から考慮すれば、少なくとも、原告の年齢に対応する昭和六三年度賃金センサス第一巻第一表・産業計・企業規模計・学歴計の二〇歳ないし二四才・男子労働者の平均賃金年額二六六万一一〇〇円程度の収入を得ていたものと認めるのが相当である。

次に、休業期間については、事故発生の翌日である昭和六三年二月八日から前記二に認定のとおり、症状固定日である同年五月三一日までの一一三日間は就労が不能であつたと認めるのが相当である。

従つて、原告の被つた休業損害額は、八二万三八四七円となる。

(算式)

2,661,100÷365×113=823,847

(四)  慰謝料 一五二万〇〇〇〇円

前記認定の原告の受傷内容、これと相当因果関係の認められる症状及び同治療期間中の治療状況、後遺障害の部位、程度、前記認定のその他の事実並びに本件証拠上認められる諸般の事情を合わせ考慮すると、原告が本件事故によつて被つた肉体的、精神的苦痛に対する慰謝料は、入通院中のそれとして八五万円、後遺障害のそれとして六七万円の合計一五二万円をもつて相当であると認める。

(五)  逸失利益 二四万七六六八円

原告は、前記認定の症状固定日である昭和六三年五月末日において、二二歳の男子であり、当時、平均賃金年額二六六万一一〇〇円程度の収入を得ていたものと認めるのが相当であることは前記のとおりであるところ、前記認定のとおりの後遺障害の内容及び程度によれば、症状固定日から二年間にわたり、労働能力の五パーセントを喪失したものと認めるのが相当であるから、右数値を基礎にホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して原告の逸失利益の現価を算出すると、二四万七六六八円となる。

(算式)

2,661,100×0.05×1.8614=247,668

(以上(一)ないし(五)の合計金額 二六三万三八二四円)

四  損害の填補

原告が、自賠責保険から後遺障害保険金として七五万円の支払いを受けたことは、当事者間に争いがないから、前記損害額から右填補額を差し引くと一八八万三八二四円となる。

五  弁護士費用 一九万〇〇〇〇円

弁論の全趣旨によれば、原告が本訴提起及び追行を原告訴訟代理人弁護士に委任し、その費用及び報酬の支払いを約していることが認められるところ、本件事案の内容、審理の経過、認容額等に照らすと、原告が被告に対して、本件事故と相当因果関係にある損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は、一九万円と認めるのが相当である。

六  結論

よつて、原告の被告に対する本訴各請求は、損害合計額一八八万三八二四円に弁護士費用一九万円を加えた合計金額二〇七万三八二四円、及び内金一八八万三八二四円に対する本件事故発生の日の翌日である昭和六三年二月八日から支払い済みまで、内金一九万円に対する訴状送達の日の翌日である平成元年九月二三日まで、いずれも民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 阿部静枝)

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